会報『ブラジル特報』 2013年1月号掲載
日系企業シリーズ第22回

                  川手 純一(日本郵船ブラジル社社長)


 当社とブラジルとの繋がりを紐解いてみると、日本からの移民の歴史まで遡ることになります。東洋移民会社との契約に基づいて、明治44年3月の神戸出帆の「神奈川丸」がサントス行きの日本人1,416名の輸送に従事したことに始まっています。その後、この航路の重要性が増すことにより、大正6年から南米東岸定期航路を開設するに至りました。神戸港を同年4月に出帆した第一船「若狭丸」の当時の記録には、日本移民1,354名と貨物4,035トンを載せて無事出帆とあります。サントス港に着かれた多くの日本人の方々が、その後大変な苦労の後に、今の日系人社会の評価を作ってこられたことを思うと、今ブラジルに暮らしている日本人の一人として、本当に日々感謝の思いで一杯です。
 その後の航路の中断を経て、昭和29年に本航路を再会、時代の移り変わりとともに昭和56年にはコンテナ貨物を開始、そして平成7年にはアジアからのフルコンテナ、ウィークリーサービスという新しい概念をいち早く導入、我々が「定期船」と呼ぶ、一般貨物の輸送に当たっています。
 一方で戦後日本の高度経済成長にともない「不定期船」と呼ばれる大型の資源運搬船が重要になりました。カラジャス鉄鉱石の輸送に始まる鉱石船、紙パルプ原料の木材チップを運ぶ木材チップ船などに加えて、多種多様な資源運搬船がブラジルの諸港を訪れるようになり、高度経済成長を続ける日本への資源輸送に従事してきました。近年では大豆、とうもろこし、小麦などの食料資源の運搬も注目を浴びるようになってきています。

 しかしながらブラジルで満船に資源を積み込んだ船の行き先も、かつての日本ではなく、いまや中国むけが圧倒的になってきました。これも時代の流れでしょうが、日本に向かわない多くの船を見ていると、少し寂しい気もしたりします。

 さらに今般では、ブラジルでの洋上石油開発にともなって、「ドリルシップ」と呼ばれる大水深鉱区掘削船、「FPSO」と呼ばれる洋上の石油生産・貯蔵・積出施設、またそこから陸上施設までの運送を担う「シャトル・タンカー」など、いわゆる海洋事業への進出を本格化させようとしています。

 このように大資源輸出国としてのブラジルのダイナミズムに寄り添っての事業を充実させる一方で、近年の環境問題もあり、当社としてもブラジルで植林・木材チップ生産輸出会社への出資を通じてなど環境問題にもコミットしていく所存です。

 国内に目を移しますと、旧郵船航空と郵船の物流部門が合併して2010年に設立された関連会社の郵船ロジスティク・ブラジル社が、航空フォワーディング、倉庫オペレーションを含んでの総合物流オペレーションを行っております。主に海運そのものに携わる日本郵船・ブラジル社とあわせ、今では両社で総員500名を超える社員が多様化するお客様のニーズに、空運も含んだ、陸、空、海という総合的な物流体制で応えるべく、日々の業務に励んでいます。われわれ郵船グループのグループバリューは‘誠意、創意、熱意‘というものです。これのポルトガル語の‘INTEGRIDADE,  INOVAÇÃO,  INTENSIDADE’  を常に現場社員の一人一人が胸に刻んで、今後もお客様のご要望に応えるべく努力していきたいと考えております。

 最後になりますが、忘れたくないのが、客船です。「飛鳥Ⅱ」の世界一周航海でのブラジル寄航は人気メニューですし、北米に本社を置く子会社、クリスタル・クルーズ社の運行する豪華客船はカーニバルのシーズンを中心にして、その優美な姿を毎年必ずブラジルに見せてくれます。普段はどちらかというと泥臭い仕事をしている我々ですが、客船の白い姿を港に見つけると、船の持つ優美さという別の感慨にまた浸ることができます。ブラジルの港に大きな客船がゆっくりとその姿を現すのを見るのは船会社に入ったものとしてとても嬉しいものです。ぜひこの拙い本稿をご覧の皆様にもご乗船の機会を設けていただき、ブラジルの雄大な自然と心やさしい人々を今度は客船の旅で楽しんでいただきたいと願っております。

サントス港に停泊する豪華客船「飛鳥Ⅱ」       (日本郵船提供)