執筆者:田所 清克 氏
ブラジル民族文化研究センター主幹

 ポルトガルの歴史家ヴェリッシモ・セランによれば、非ヒスパニック系のモーロ人、ベルベル人などのアラブ系の民族はポルトガルの諸制度、風俗、食習慣、言語など広範かつ長きに亘って影響を及ぼした。と同時に、同国で暮らす多くのイスラム教徒は、その多くが商人、職工、農民として生計を立て、モウラリア(mouraria)もしくはアルジャマ(aljama)と称される[モーロ人]街に住みながら、自らの伝統文化の痕跡を異国の地に留めた。

そのアラブ系民族の文化の多くは、植民地開拓者であったポルトガル人およびブラジルの初期の定住者の中にいたモサラベ(moçárabe)[アラビア人の治世下で生活したキリスト教徒]を介してブラジルに伝播された。しかしながら、ブラジルに到来したポルトガル人の生活やメンタリティーに影を落としたモリスコ[国土回復以後もイベリア半島に残ったイスラム教徒]などのアラブ系民族といえども、ポルトガル人のエートスをなすものではなかった。この点からすれば、アラブ系の人々のブラジルへの本格的な影響が顕在化するのは、19世紀の最後の10年に流入するシリア、レバノン移民の到来以降のことである。従ってそれ以前の彼らの影響は、ポルトガル人を介して、もしくはポルトガル人の記憶を通してなされたと言った方が正確かもしれない。

でありながら、『大邸宅と奴隷小屋』(Casa Grande e Senzala)の著作で名高いブラジルを代表する社会史家にして人類学者のジルベルト・フレイレは、ブラジルの国のかたちや文化形成において基底を成す三つの要素、すなわちポルトガル、インディオ、アフリカ以外に、ユダヤ人と並んでモーロ人やアラブ系の民族が及ぼした影響の持つ意味の重要性を、具体例を挙げながら指摘している。多面性を持つこの国の事象をつぶさに観察すると、事実、価値観や道徳規範などの国民の精神(文化)の形成のみならず、物質文化の多岐に亘ってアラブ系の影響を見て取ることができる。本エッセイでは、種々のアラブ系民族の影響を断片的ではあるが、その典型と思われる事象を引例したい。

 

衣裳と理想型である肉付きのよい女性

16世紀のブラジルの女性が普段身につけていた衣装の一つに、薄い布で頭髪の部分を隠したターバンがあった。当時、ターバンなしに女性が外出することはまれであったらしい。しかも、女性の顔を隠す被り物(mantilha)や襟巻(manta)もしくは外套(capote)、ショールの着用はごく一般的であり、それは家父長制社会に根差した倫理的な側面と美的意味合いもあったようだ。が、そうした習慣は時の流れと共にいつしか廃れ、ヨーロッパから流入したファッションなどに取って代わられるのである。従って、上流階級の婦人の間で特に見られたそうした習慣は、今や村落社会に住む女性もしくは黒人系の女性以外には目にするのが容易でなくなった。

植民地時代のブラジルの女性の理想型は、アラブ社会のそれ、つまり太っちょで美しいことにあったようだ。が、それにもまして上流社会もしくはエリート層の男性たちが望んでいたのは、子供と黒人女奴隷の召使(mucama)のみに囲まれ、また寝室で育てられたか弱い女性であったそうな。これなどはまさしく、モーロ人の影響の典型かもしれない。植民地時代や帝政期の世代は、フレイレが言うように、こうした女性像に大いに取り憑かれていたらし[『大邸宅と奴隷小屋』、上巻、269頁]。しかしながら、こうした女性に対する理想像も、1808年以降のヨーロッパの美的観念の影響もあってか、細身の女性を美人とみる見方もあるにはある。概してブラジル人は、お尻の大きい女性を好む傾向がある。これなどはひょっとしてモーロ人もしくはアラブ系民族の影響の残滓なのであろうか。

 

食文化:油っこくて甘い食物を好む傾向

ポルトガル人がアラブ系民族から吸収した多くのものはブラジルにも伝来した。今ではブラジル料理である印象のクスクス(cuscuz)[キャッサバやトウモロコシの粉を団子にして焼いたもの]も北アフリカのアラブ系の起源である。それにしても、アラブ系の調理法を含めた食文化や食習慣の影響は小さくない。例えば、油っこくて脂肪分の多い食べ物、ふんだんに砂糖、肉桂などの香辛料を加えた料理、砂糖をまぶしたドライフルーツなどへの嗜好はその最たるものである。ブラジルの民俗学者のカーマラ・カスクードが、“モーロ人もしくはアラブ人のいるところには、きまって甘いものがある”と述べているのも合点が行く。食事の際は通常、料理したものはゴザも敷物も敷かず地べたに直接置かれて供される。その外、飲み物を口にするのは食後であったり、食事中にナプキンを取り換えたりすることなども、アラブ系民族の食習慣の影響と名残と言えるだろう。

 

意味論の世界:ポルトガル語になったモーロ人、アラブ系民族の語彙

『民俗事典』(Dicionário Folclórico)の著者であるカーマラ・カスクードは言語の領域にも関心を示し、「ブラジルにおけるモーロの存在」(Presença Moura no Brasil)なる試論も著している。その試論によれば、すでに植民地時代からモーロの語彙は使われ、19世紀の末期にシリア、レバノン移民の到来によって、アラビア語はブラジルにおいてもありふれたものになったらしい。

周知のようにポルトガル語で、Algarve, alface, álcoolといった定冠詞alで始まる語彙はアラビア語起源である。そのアラビア語出自の意味論的な表現が、ブラジルでは想像以上に日常で用いられている現実に驚きを禁じ得ない。ほんの一例にすぎないが以下に示そう。

モーロ人が良く働くためか、動詞mourejarは、「あくせく働く、休まずよく働く」の意味。これと同様の意味で、trabalhar como um mouroの表現もある。形容詞mourejadoは「苦労(を犠牲に)して手に入れた」を意味する。動詞mourarは「イスラム教を実践する、モーロ人のように振る舞う、着こなす」の謂い。「遠方の地」を強調したものにterras de mouroなる表現もある。ちなみに、アラビア語起源のポルトガル語に関心の向きには、アウレーリオ・ブアルケ・デ・オランダが著した『ポルトガル語新辞典』以外に、アントーニオ・デ・モラエス・シルヴァの『ポルトガル語辞典』が参考になる。

 

大衆文学への影響

ブラジルの大衆文学、なかでも口承のおとぎ話などでは、モーロの存在と影響がうかがわれる。そこに登場する「魅惑的なモーロ人女性](moura encantada)の伝説は、ポルトガル植民開拓者を通じて伝来し、民衆の伝統となった。その魅惑の女性は、黒い瞳で褐色の肌をし、性的神秘性を有していることから、植民者の垂涎の的となっていたようである。実在しない伝説上の女性であったが故に彼らはそれに代わるものとして、風貌が似通っているインディオ女性に理想化された女性像を見出したのである。ちなみに、「魅惑的なモーロ人女性」は、魔力や支配力で男性を誘惑する存在として解されている。

のみならずポルトガルの伝統では、「魅惑的なモーロ人女性」は民話の基本的なテーマであるおとぎ話を代表するものになっている。ポルトガルの作家のテオーフィロ・ブラーガの言説ではそれは、素晴らしい性格を持ったアラブの乙女として捉えられている。16世紀にすでに、ブラジルでは「魅惑的なモーロ人女性」への祈願が生まれ、祈願を成就した女性は、求婚者を熱中させる不思議な力を授かる、という言い伝えさえある。アラブ世界にルーツを持つこうした民間伝承と大衆文学の影響は、文化変容を経ながらも植民地ブラジルの社会にしっかりと浸透・定着し、今日まで影響を及ぼしている。

 

農業面で果たした役割と影響

ポルトガル人による熱帯地方の植民を成功に導いたもっとも根本的な前提条件はモーロ人から与えられた、と観るジルベルト・フレイレの言説は農業面にも通底するものがある。例えば、アラブ系民族によってイベリア半島にもたらされたサトウキビ栽培はブラジルにも導入され、ポルトガル系アメリカの社会・経済発展を条件づけた。その役割を担ったのはモーロ人であり、彼らはブラジルの植民者に対してサトウキビの生産技術と経済的な利用を伝授することになった。灌漑技術に長けたモーロ人などのアラブ系民族の影響の中で、その最たるものの一つは水車かもしれない。事実、植民地時代の製糖工場(engenho)では、サトウキビを圧搾する動力源として用いられたのは文字通り、巨大な木造の水車であった。

 

建築に観るアラブの影響

建築面の影響でも瞠目させられるものが少なくない。が、この領域の研究はあまり進んでいるとは言い難い。ジョゼー・マリアーノ・フィーリョの手になる『ブラジルの伝統建築におけるイスラムの影響』(Influências Muçulmanas na Arquitetura Tradicional Brasileira)、エドゥアルド・K・デ・メーロの『ブラジル建築におけるモーロの遺産』(A Herança Mourisca da Arquitetura no Brasil )以外に、筆者は寡聞にして知らない。しかしながら、ブラジルの建築へのオリエント、とりわけアラブ系の影響は看過しえない。ムシャラビ(muxarabi)[アラブ独特の透かし模様の窓]、鎧戸、噴水のある水飲み場、教会堂や修道院、アズレージョ(azulejo)[装飾タイル]や(分厚い)漆喰壁の技術などはその一例で、枚挙にいとまがない。