会報『ブラジル特報』 2014年7月号掲載
エッセイ

   
小高 利根子(翻訳家)


 ブラジルに初めて行ったのは1970年。以来、四回にわたる夫の駐在のため通算23年ほどをサンパウロで暮らしました。国民性ともいえるブラジル人のあたたかさ、懐の広さにいつも助けられて、本当に気持ちよく日々を過ごせたと思います。

 その豊かな文化をなんとか日本の人たちにも伝えたいという思いから出版翻訳を始めたのが1989年。そして「最終的に帰国したら今度は日本に暮らすブラジル人のために何かさせていただきたい」と思うようになりました。入管法改訂によって多数のブラジル人が労働目的で来日するようになっていたからです。ところが、夫の退職後もITU市にある家を手放しがたく、ブラジルと日本を行ったり来たりする生活になりました。これでは継続的に責任のある仕事をするわけにはいきません。
そんなとき「日本ラテンアメリカ子どもと本の会」発足の話が持ち上がりました。中心になったのは同窓の東京外国語大学出身の女性たちで、翻訳者や大学のスペイン語教師。それぞれ仕事がありながらのボランティア活動です。これなら一緒に活動できるかも知れない、と思いました。

趣意書の一部をご紹介しましょう。

…日本で生まれ育った子どもたちは日本語環境のなかで育ち、言葉の違いから親子の間のコミュニケーションの問題も生まれているということです。ポルトガル語やスペイン語とかかわってきた私たちは、そんなようすを見て、「本」を中心にして、何かできることがあるのではと考えるようになりました。なぜなら、本は自分をうつす「鏡」や、広い世界への「窓」となって私たちに生きる力を与えてくれるばかりでなく、子どもにとっての読書(おとなに読み聞かせをしてもらう、絵本などで文字にふれる)は、現代の社会を生きるために必要な「識字」への架け橋となる経験だからです。…

 具体的な活動は、まず、日本語で出版されているラテンアメリカ関連の本をリストアップし、その中から推薦するのにふさわしい本を見極める選書作業。次に、選ばれた108冊に日本語、ポルトガル語、スペイン語の三カ国語の書誌を作成。これを展示する初めての図書展は2011年に開催されました。その後は図書館、小学校への選出図書セットの貸し出しや、原語と日本語のバイリンガルの読み聞かせ、ラテンアメリカ事情についての出前授業などを行っています。また、選書作業は出版事情に応じて継続しています。

 会のメンバーも増え、児童書の編集者、図書館司書なども加わりました。ただ、スペイン語圏の国に住んだ経験者は多いものの、ポルトガル語関係者はいまだに一人。目下孤軍奮闘中です。書誌のポルトガル語訳などは、たくさんの方々に協力していただきましたが、会のメンバーになってくださる方がいないのが悩み。本がとにかく大好きで、書誌を書いたり、それをポルトガル語訳していただける方、ぜひ、ご連絡ください。(会のホームページはhttp://clilaj.blogspot.comメールアドレスはtokioclijal@gmail.comです)
会の活動を通して出会うブラジルルーツの子どもたちの状況は実にさまざま。来日したときの年令も違えば、ポルトガル語、日本語の習熟度もひとりひとり違います。愛知県の小学校に一か月間選書セットを貸し出し、一日だけ原語絵本の読み聞かせに行ったことがありますが、30数人の国際学級のほとんどがブラジルルーツ。ポルトガル語が大声で飛び交い、それはそれは賑やか。どの子の顔も明るく輝いていました。

 川崎市の小学校で読み聞かせ
 
愛知県の小学校で読み聞かせ


一方、こんな例もあります。実は地元の活動にも参加したいと思い、川崎・横浜を中心に活動する「多文化読み聞かせ隊」というグループにも入っているのですが、そこから川崎市のある小学校に「国際理解教育」の一環として出前授業に行ったときのこと。ブラジルから来た子は全校で一人か二人。自分のルーツを隠すようにひっそりとしていました。
そんな一人、A君の担任からその後メールが届きました。「ブラジルの授業の後のA君の豹変ぶりにびっくりです。引っ込み思案で手を挙げることがなかったのに、積極的に発言するようになりました…」

 両親の国ブラジルのすばらしさを授業で学び、級友が興味を示してくれたことがA君の自信につながったのでしょうか。そうだとしたら、こんなうれしいことはありません。

日本での生活に順応するだけではなく、自分のルーツに誇りを持ち、この国で暮らすことのメリットも感じてほしい。そんな思いを深くしています。同じような活動をしている団体とも良い協力関係を築いて、さらにきめ細かい活動を目指していきたいと思います。